韓国には、「キムジャン・ボーナス」と呼ばれる独特のボーナスがある。なんと、キムチを漬けるために出るボーナスなのだ。キムジャンというのは、「キムチを漬ける時期」を意味する語で、晩秋の十一月から十二月にかけての時期。この時期には、韓国のどの市場も、キムチ用の野菜や唐辛子など、キムチの材料でいっぱいになる。キムチは、もともと、日本の漬物と同じく、冬期の重要なビタミン源として誕生したもの。それだけに、冬の訪れを待つばかりの十一月から十二月にかけてが、キムチを漬けるシーズンとなるのである。韓国の人々は、このキムジャンに、一冬分のキムチをつける。キムチは、韓国の人々にとって、国民的ともいえる食品で、よく食べるので、漬ける量も大量だ。それにはお金もかかるというので、官公庁や企業などでは、職員に、一ヵ月分の給料にあたるキムジャン・ボーナスを支給するというわけである。このキムチの歴史は古く、農耕生活が定着したころには、早くもつくられるようになっていたといわれている。ただし、高麗時代ぐらいまでのキムチは、現在のキムチのようなものではなく、ハクサイ、ダイコン、ネギなどの野菜を、塩か味噌に漬けた単純なものだった。それが、その後、日本から伝わった唐辛子と、イカ、エビ、魚のはらわたなどでつくった塩辛類も、野菜とともに用いるようになり、現在のようなキムチになったのである。キムチの味付けは、地方によって大きな違いがあるし、家庭によっても違う。一般に、南部では唐辛子をたくさん用い、北部では、唐辛子が少なめで、そのぶんニンニクや生姜なども用いられる。唐辛子は、辛味成分のカプサイシンの殺菌効果によって、材料の腐敗を防ぐ働きをするので、厳しい寒さのために腐敗が起こりにくい北部のほうが、使用量が少なめなのだ。そして、それぞれの家庭には、塩加減やダシ加減など、代々受け継がれてきたキムチ作りの秘伝があるので、家庭によって味が微妙に違う。ふだんはおだやかな韓国の主婦たちは、キムジャンのときばかりは、隣の家に対抗意識を燃やし、隣近所で競いあうようにして、キムチ作りに情熱を燃やすのである。なんともほほえましい光景だ。
「アメリカ的地方生活」を体験するには、全米に張り巡らされた航空路網で、ハブ空港と呼ばれる中心空港のある街にまず馴染み、そこからより郊外へと足を延ばすといい。アメリカでハブ空港と呼ばれているのは、ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル、ポートランド、フェニックス、デンバー、シカゴ、ヒューストン、アトランタ、ニューヨークなどだ。日本でも既にお馴染みのこれらの大都市が、東京や大阪と同じ感覚で歩けるようになったら、そこから更に足を延ばして、アメリカの「地方都市」を訪れるといい。そして旅に疲れてきたら、無理せずにロサンゼルスやニューヨークなどの勝手知ったる大都市に戻る。これが無理なく「地方」を旅する手である。地方都市の治安も大都市よりはいいが、現地の状況を日本で情報収集するのは逆に難しい。だから決して無理をせず、一度行って気に入ったら主要都市を訪れたついでに再び寄ってみるといい。その際、訪れる季節を変えてみると、これが同じ街かと思うほど雰囲気が変わるものだ。アメリカを代表する女流画家の巨匠、ジョージア・オキーフは、ニューヨークに住みながら、ニューメキシコ州の町、サンタフェの乾いた気候とプエブロ・インディアンのアートに強い関心を持って、この地を第二の故郷とした。それと同様に、東京や大阪で仕事しながら、自分に影響を与えるアメリカの地方都市に定期的に通ってみるのもいい。日本とアメリカは距離的にも近く、航空運賃も激しい競争で安くなっている。自分だけの「アメリカ」に通って、そこをベースに広大なこの連邦国家を眺めてみると、日本だけで見ているのとはまた違った考え方が持てるはずである。そして、その街に友人でもできれば、メールで通信もでき、更に通いやすくなるはずだ。
東北とか北東というと、中部以西の人たちにとっては東京から更に向こうの遠いところというイメージになってしまう。現実には日本海側をまわれば西日本と東北は意外に近いし歴史的にもつながりは強い。文化的にも、関西の人は関東には反発しても東北の文化のもつ縄文的な力強さには別の魅力を感じるという面もある。平安末期には、厳島神社に代表される西国、平泉を中心とする東北、それに京都と三つの文化センターが成立しかかったことがあるが、そういう方向で日本の国土構造ができたほうが文化的には面白かったのでないかなどとも思う。東北は陸奥と出羽という二つの大国にしか分けられていなかったが、国の境界を越えて調整されたのは、陸奥のうち鹿角市周辺を交通事情を考慮して秋田県に編入したことだけである。出羽はほぼ南北に二分されたが、陸奥のほうは、岩手県が旧南部藩の南半分と伊達藩の北部を併せる形で設立されたのが、一見、不自然な形である。これは、当時、北海道の一部が青森県の一部とされた反映である。現在の青森県は人口も増加して小県ではないが、当時の人口からいえば、全国でも最小の県のひとつだった。それを北海道の一部も加えることでひとつの県としたのである。もし、北海道と一体化していなかったら、現在の岩手県北部と青森が八戸県にでもなって、岩手県の南部は宮城県と合体していただろう。北海道は開拓使や札幌、函館、根室の三県体制などの時代を経て明治十九年に現在の形になった。
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